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9番目の夢.39 [20才と31才の恋話]

「センパイ、聞いて聞いて」
 夏代は昇の顔を見るなり朝の挨拶もそこそこに話しかけてくる。彼女はここが職場だということを時おり、すっかり忘れてしまうらしい。

「私、仕事もらっちゃったのよ」
「仕事って、いったい何を」
「ほら、私が大学の学内誌に載せた文章がいくつかあるでしょう。地方の豪族だとか、あるいはこないだのやつだとか。ほら、あったじゃない。パリにいた私の友だちが、香水がきっかけでフランス語を覚えた話。あのへんが編集者さんの目にとまったらしくてね。うちの雑誌に文章を書いてくれないかって頼まれたのよ」

「へえ。そいつは良かったじゃないか。でも夏代、いったいどんな雑誌なんだい」
「それがまだよくわからないの。雑誌の名前は聞いたんだけど、私の知らない雑誌だったし」
「ふうん。それで夏代さあ、変なことを訊くようだけど、原稿料はちゃんともらえるのか」

 いつの日にか自らの雑誌を出したいと、少なくとも一時期は志していた昇のことだ。雑誌のはたけの内幕を、おそらく夏代よりはよく知っているはずだろう。それだけに、昇としては現実的な考え方をしないわけにいかない。

「それがねえ、残念ながら出ないのよ。原稿を書くのにかかった経費だけは出してくれるそうなんだけど。でもまあ、そういう仕事をして名前を売っておけば、いずれ他の仕事もまわしてもらえるようになるんじゃないかな。ほら、あの業界は何よりもつてがものを言うみたいだから」

 危ないな、と昇は思った。
 今の日本で、自らが書いた文章を活字にすることそのものは決して難しくなんかない。
 世の中には、いったい誰があんなに読むのだろうかと思われるほど、いろいろな雑誌があふれかえっている。そして文章を書く者はいつだって人手不足だ。その気がありさえすれば誰だって、自らの書いた文章を雑誌に載せることはできるだろう。もちろん書くなかみについて、決してえり好みをしなければの話だが。

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9番目の夢.38 [20才と31才の恋話]

「夏代さん、お昼はもう食べました?」
 これですべてが終わりです。
「いやー、今日、金ねえからさ」
「じゃあ、あまり高くないところへいきましょう」

 これで本当にもう終わりです。一緒に食べに行くなどとは言っていないのに、いつの間にか強引に話を進められ、そして五分後、気がつくと私は何だか良く分からないフランス料理店のテーブルに座らされているのです。そして一番安い「ランチ・ビストロコース壱千五百円」か何かを注文してしまうのです。そしてRは、「ランチ・プチコース弐千五百円」などという信じられないものを注文してしまいます。さあ、静寂な音楽の流れる中、やってきましたフランス料理。そのころ私の頭のなかでは「壱千五百円あったら吉野屋の牛丼大盛りが何杯食べられたか」の必至の計算式と、後悔の念でいっぱいです。しかしもう遅いのです。テーブルの上に並べられていく、色とりどりの料理達を眺め、決心を固め涙を飲んでさあ食おう、とナイフを手にした時、Rは言うのです。「………えー、想像してたのとちがう………。」

 そうして彼女は、その料理に手さえつけないまま、静かに座っているのです。一口も、食わないのです。ぜんぜん食わないのです。この大馬鹿者は。
 私は、飯を残すことが極端に嫌いな人間でして。
 心の底から沸き上がるような怒り………「注文したものぐらい、食え!」……を、なけなしの理性で無理やり押さえながら、私は言います。「勿体無いから、少しは食べなよお」するとRは言います。「………夏代さん、食べてくれる?」
 かくして。私はフランス料理点で、二人分のランチをきれいにたいらげるという、あまりみっとも良くないことをやってのけてしまいます。

 そしてお勘定です。余計なところで気を回してしまう私は、どうしても、一口も食べずに座っていただけのRに弐千五百円全額を払わせる気にもなれず、彼女の分の半額とちょっとを援助してしまいます。もうメシが美味かったかどうかなんて解らないくらいに頭の中がぼんやりするよなその昼飯代。教科書を買うために前日銀行からおろした金は、こうしてあっという間になくなります。こんな事のくりかえしで、お蔭で私はまだ語学の教科書すら持っていません。

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9番目の夢.37 [20才と31才の恋話]

「お久しぶりです。あなたの夏代です。
 ご存じの方もいらっしゃるとは思いますが、私は現在、何を勘違いしてしまったのか、某ミッション系フライ級お嬢ちゃんお坊ちゃん大学へ通っております。しかも、お洒落な女の子がやたら多いのよ学部の、ついでに化粧も上手いのよ学科です。

 で、その「某ミッション系フライ級お嬢ちゃんお坊ちゃん大学」ですが。私のような一般庶民には大変通いづらい大学でございまして。正直言って四年も続くもんだか今から心配であります。どんな場所ででも上手くやって行ける方も世の中には沢山いらっしゃるようですけれども。何せ私は人づきあいの要領が悪い。おまけにやたらとトラブルに巻きこまれてしまうというありがたくない才能に恵まれておりまして。(それは、お前が危ない橋ばっかり渡るからじゃねえかとのお叱りを受けてしまいそうですが、決して決してそれだけが理由ではないのですよ、本当に!)

 御安心ください。夏代は、まだまだ貧乏クジ引いてます。ツキは、とっくに逃げて行きました。今日は、そのどうもツイてない学生生活の中のある一日、あるひとときの出来事をお話したいと思います。

 「地方の豪族」

 私の友人(もっとも、あまり友人とは思いたくないのも山々なのですが)にRというお嬢様がいらっしゃいます。まこともって「いらっしゃいます」と言うのに相応しいそのお顔立ちとお姿とお言葉づかいとご性格。そんな方でございまして。

 「父が、危ないと言うものですから」。それが、彼女の、自転車に乗れない理由だそうでございます。(大袈裟だと思うでしょ? 嘘だと思うでしょ? ホントなんです)
 で、そのRですが。高校までは岩手に住んでいたそうです。厳しい厳しい、大富豪のお父様お母様の元を離れ、憧れの東京へ出てきて、(目玉の飛び出るような入寮料を取られる某学生会館で)一人暮らしの女子大生となったものですから、もう嬉しくて大はしゃぎです。

 こういうタイプの方が、この大学にはわりと沢山いらっしゃいまして。私はひそかに、一人で勝手に、彼女達のことを「地方の豪族」と呼んでいるのですが。
 「地方の豪族」それは、大変趣ぶかいものでございます。

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9番目の夢.36 [20才と31才の恋話]

 その後は、特にこれといった話も出なかった。おたがいが読んだ本や、身近な誰かれの噂など、とりとめもない話をかわしながら夏代と昇は食事を続ける。こんな僕たちふたりのことが、端の者の目にはいったいどう写っているのだろう。けっこう仲のいい恋人どうしに見えたりしているのではなかろうか。

「先輩は夏代とつきあうつもりをしているんですか」
 この前の夜、そう敏男に訊かれたことを昇は思い出した。
「よしてくれよ。俺はもう、つきあうだなんて言葉が似合うような齢じゃないだろうさ」
 そんな敏男に対して昇は、そう答えてみせたのだ。

 今のままでも夏代と昇はたびたび食事を一緒にしたり、あるいはふたりで酒を飲みにいったりすることがある。それでなくとも毎日のように職場でお互い顔をあわせているのだし。この上あらためて夏代とつきあうということは、いったい何を意味するのだろうか。このままずっと今のような関りを夏代と続けていくことができるなら、それでいいのではなかろうか。今のこのようなありさまで、何が不足だというのだろう。この上いったい何を望むことがあるというのだろう。何を望むべきだというのだろう。

「大学なんて、ろくな所じゃなかったわ」
 食後のコーヒーを飲みながら、いきなり夏代がそう言いだした。

「いったいどうしたっていうんだ。びっくりするじゃないか、急に大きな声を出して」
「ごめんなさい。でもふと思い出しちゃったの。例の、地方の豪族を」
「ああ、あれか」

 夏代の言葉に昇も納得がいく。地方の豪族というのは、まだ大学へ入ったばかりの頃に夏代が書いて昇にも見せてくれた文章のタイトルだ。そう言えばあの文章の中にも、店で食事をする場面が出てきていた。そんなつながりで、いきなり地方の豪族のことを思い出したりしたものだと思われる。それにしても夏代の頭の中は、いったいどういうしくみになっているというのだろう。仮にもひとりの男が自らを愛していると知らされたばかりなのだ。これが普通の女の子なら、しばらくの間はそのことで頭がいっぱいなはずではないのだろうか。にもかかわらず、地方の豪族のことを思い出しているだなんて。やはり夏代はよほど普通じゃないに違いない。

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