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20才と31才の恋話 ブログトップ
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9番目の夢.13 [20才と31才の恋話]

「最初の挫折は中学校を決めた時ね。私はわりに入るのが難しいと言われている私立の学校へ行きたかったの。兄もそこへ行ってたし。それで一生懸命に勉強してたのよ。その学校に受かるためにね。受験すれば大丈夫、きっと受かるだろうというくらいの自信はあったわ。でもね。親に言われてしまったの。あなたは普通の公立にしておきなさいって。家にはもうお金がありません、お兄ちゃんの学費だけで精一杯なんですってね」
「それはひどい話だなあ」

「でしょう。それ聞いて私、もう荒れたわよ。私がこれまで頑張ってきたのは、いったい何のためだったのかって。それからというもの私は、きっぱりやめてしまったんだわ。真面目に頑張ったり、いい子のふりをしたりすることは一切。勉強もしなくなったから成績はおちるし、親や先生にもどうしたんだって叱られるし。でも私は自分の考えを決して変えなかった。私はその時、かたく心に決めていたの。これからはもう誰のことも気にかけないで、自分のやりたいように生きていくんだって」
「なるほど」

「誰も私のことなんか、かまってもくれないし必要としてもくれないんだわ。でもいいの、それならそれで。私も好きにさせてもらうから」
 そう言いきって夏代は目をふせる。昇は何だか、とても哀しい気持ちになった。目に見えないため、それがそこにあるということを思わずうっかり忘れてしまっていた壁に思い切りぶつかってしまったような気持ちだ。昇にとって夏代はその壁の向こう側にいる。姿は見えているが手を届かせることはできない。

「私は余分に生まれてきたのよ。でも私は生きつづけるわ。少なくとも二十五歳になるまではね。せっかく生まれてきたんだもの。せめてやりたいことをやらせてもらわないと」

「少なくとも二十五歳まではって、その後はいったいどうするんだい」
「先のことは考えてないわ。死んじゃうかもしれない。スーパーのバーゲンで先を争って品物を奪いあうような、醜い中年の小母さんには死んでもなりたくないし」

「また、えらくあっさり言ってくれるねえ。死んじゃうかもしれないだなんて」
「いいのよ。どうせ私のことなんか、誰も愛してくれないのだもの。このまま誰にも愛されずに終わるの」

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9番目の夢.12 [20才と31才の恋話]

 夏代の育った家庭について、昇はいちど彼女の口から長い身のうえ話を聞いたことがある。あれは夏代が、まだ高校に通っていた頃だ。確か細かい雨が降りしきる、うす暗い午さがりのことではなかったか。

「うちは兄の出来がよすぎたのね、きっと。彼は学校での成績もよかったし。男にしておくのはもったいないくらい、きれいな顔だちをしていたし。きっとうちの親の遺伝子のいいところは、すべて彼がひとりじめしてしまったんだわ。そして悪いところが、みんな私にまわってきたってわけ。うちの親はそんな兄のことを、とても誇りに思っていたみたい。兄のことばかり大切に大切にかわいがっていてね。私のことなんか全くかまってもくれず、いつもいつも放ったらかしにされていたわ」

 そう語りながらも、夏代は決してそんな自らの親たちのことを責めたてるという風ではない。むしろ何か他人事をでも語るかのように、淡々と言葉をつづけるのだった。

「だけどそのほうが私にとっても、むしろ都合はよかったの。兄は無理矢理いわゆる、いい学校へ入れられてしまったし。まあ本人もそれを望んでいたというか、それが当たり前だと思って疑うことすらしないでいたみたいだけど。でも私のことについてとなると、うちの親は口出しなんか全くしてもくれなかったわ。あなたは独りで勝手になさいって感じね、言ってみれば。そこで私も、ひらきなおったってわけよ。だったらおっしゃるとおり勝手にさせていただきましょうじゃないのって。そう考えると私は、むしろ親に感謝するべきなのかも知れないわ。おかげで私は今まで好きなことを、それこそ勝手にやりたい放題してこられたのだから」

「じゃあ夏代は、そのことで親御さんたちのことを少しも恨んではいないのかい」
「ええ。でも、ひとつだけ悔しかったのはピアノのことね。兄は幼い頃からピアノがとてもうまかったの。ピアノの先生にも筋がいいとか誉められて。それを聞いた時のうちの親たちの鼻の高さったらなかったわ。だから親たちは兄のことをプロのピアニストにしたかったみたい。うちの親も兄には惜しまずにお金をかけているのよ。ピアノのお稽古にも、ほぼ毎日のように通わせていたし。貧乏な私のうちに、およそ不釣合いなほど立派なピアノがあるのもそのせいなの。私も一応ピアノのお稽古に何度か通いはしたのよ。でもすぐにやめさせられてしまったわ。この子はあまり筋が良くないって先生に言われちゃって。うまくなる見込みもない者にお金をかけるのは無駄だと思ったんでしょうね。ひどいのよ、うちの親ったら。それ以来というもの私にはピアノにさわらしてすらくれないの。そのピアノはお兄ちゃんのです、汚い手でいたずらするんじゃありません、って言って。くやしかったわね、やっぱり。だから時おり私の他には家のなかに誰もいなくなることがあるとするでしょう。そういう時には思いきりピアノを弾きまくってやったわ。とは言ってもちゃんとした弾きかたなんか誰からも教わっていないから、全くの自己流でしかなかったんだけれども」

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9番目の夢.11 [20才と31才の恋話]

 では。そこいら辺のトモダチの一人が話してくれた、私の大好きな話を一つ。
 そのトモダチは昔、フランス語も分からぬままフランスへ行き、地下道でギターの流しをやって生活したことがある男なのですが。フランスでの生活を始めたばかりのとある日。特に理由もなく、彼は香水屋さんにぶらりと立ち寄ったそうです。買う気もない香水を眺めながら、彼は、店員と客の間で交わされる会話を何とはなしに聞きましたとさ。

  客 「ぷっじゅうなんたらかんたらどうのこうの?」
 店員 「うんたら(と言って客のてのひらに香水をシュッと出す)」
  客 「(香りをかいで)うぅん、うにゃらうにゃら」

 くどいようですが、彼はまったくフランス語が解らないわけです。しかし彼曰く、そこで話されている言葉の響きが美しかった、そりゃあもうものすごく美しかったと。いきなり感動し愕然としてしまった彼は、その店で何度も何度も交わされる同じ会話をただただ聞いていたそうです。

 どうやら、
  客 「この香水の香りをかがせて頂けませんか?」
 店員 「どうぞ」
  客 「うぅん、とても良い香りです。どうもありがとう」
 それだけの会話らしいのですが。特に「この香水の香りをかがせていただけませんか」という意味らしき部分の響きが特に美しいと。

 あんまり長いこと同じ言葉ばかり聞いていたものですから、彼はヒアリングでそれを覚えてしまいました。覚えてしまったからには自分で実際にその言葉を発してみたい。当然ですやね。彼は緊張しながら、客の真似をして言ってみたそうです。
  「この香水の香りをかがせて頂けませんか?」
 すると店員が「どうぞ(シュッ)」
  「うぅん、とても良い香りです。どうもありがとう」

 店員がちゃんと答えてくれたことが嬉しかったのか。
 はたまたその綺麗な言葉を発する事の出来る自分が嬉しかったのか私は知りませんが。
とにかく嬉しくて嬉しくてどうしようもなくなった彼は店を飛び出しました。そしてその日のうちにあてもなく香水屋を探して走り歩き、店を見つけては入って行き、同じ会話を繰り返したんだそうな。

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9番目の夢.10 [20才と31才の恋話]

 昇は夏代のことを守ってやりたかった。夏代に決して暮しの重みなどを味わせたくはなかった。さいわい昇は充分ふたりでも暮していくことが出来るだけの金を稼いでいる。夏代さえそれを受け入れてくれるなら、昇が夏代の親がわりとなって、彼女の暮しをみてやることもできるはずだ。そして夏代の側にさえその気があるならば、ふたりで暮していくことだって出来るだろう。昇と夏代の両方がそれぞれ独り暮しを続けるよりは、ふたりで一緒に暮した方が金もかからずにすむのだから。それに何より夏代とふたりで暮すことができるなら、それは昇にとっても愉しい日々となるに違いない。

 あるいは、今からでも大学へ戻りたいという気持ちが夏代にあるならば。学費を立て替えてやってもいいとさえ昇は考えていた。夏代が大学を出て働きはじめてから、少しづつでも返してもらえればそれでいいのだし。あるいは全く返してもらえなくたって何らかまいやしない。夏代のためになら、金などいくら使ったところで昇は全く惜しくもなんともないのだ。しかし夏代は言う。大学を休学したのは何も親から勘当されて学費が続かなくなったためばかりではないのだと。

「そういえばセンパイには、まだ話してなかったんだっけ。私が大学を休学しようと思うようになったきっかけを。ちょうどいいわ。こないだそのあたりについての話を、学内で出している雑誌に投稿して掲載されたばかりだから。今度センパイにも、それを読んでもらうわね」

 夏代が書いたという文章は、彼女があくる日会社に持って来て見せてくれた学内誌とやらの、見開き二ページほどを使って掲載されていた。「夏代は割と頑張った。今は幸せに暮らしてる。」と題された、次のような文章だ。

「皆様お元気でしょうか。
 本当にお久しぶりです。あなたの夏代です。
 ここんとこ、本当に、ひどく忙しかったんです。なかなか原稿を送れなくて、編集長と発行人、それから数少ない私めの支持者の方々には多大なる迷惑をかけてしまいました。申し訳ございません。でもあんまり反省してないのよね。
 実は先日、ようやく休学が成立いたしまして。はい。
 まあ、とにかく休学する前に、皆様に一言ご挨拶させて頂きたく思いまして投稿した次第でございます。やっと暇もできたことですし。

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