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9番目の夢.12 [20才と31才の恋話]

 夏代の育った家庭について、昇はいちど彼女の口から長い身のうえ話を聞いたことがある。あれは夏代が、まだ高校に通っていた頃だ。確か細かい雨が降りしきる、うす暗い午さがりのことではなかったか。

「うちは兄の出来がよすぎたのね、きっと。彼は学校での成績もよかったし。男にしておくのはもったいないくらい、きれいな顔だちをしていたし。きっとうちの親の遺伝子のいいところは、すべて彼がひとりじめしてしまったんだわ。そして悪いところが、みんな私にまわってきたってわけ。うちの親はそんな兄のことを、とても誇りに思っていたみたい。兄のことばかり大切に大切にかわいがっていてね。私のことなんか全くかまってもくれず、いつもいつも放ったらかしにされていたわ」

 そう語りながらも、夏代は決してそんな自らの親たちのことを責めたてるという風ではない。むしろ何か他人事をでも語るかのように、淡々と言葉をつづけるのだった。

「だけどそのほうが私にとっても、むしろ都合はよかったの。兄は無理矢理いわゆる、いい学校へ入れられてしまったし。まあ本人もそれを望んでいたというか、それが当たり前だと思って疑うことすらしないでいたみたいだけど。でも私のことについてとなると、うちの親は口出しなんか全くしてもくれなかったわ。あなたは独りで勝手になさいって感じね、言ってみれば。そこで私も、ひらきなおったってわけよ。だったらおっしゃるとおり勝手にさせていただきましょうじゃないのって。そう考えると私は、むしろ親に感謝するべきなのかも知れないわ。おかげで私は今まで好きなことを、それこそ勝手にやりたい放題してこられたのだから」

「じゃあ夏代は、そのことで親御さんたちのことを少しも恨んではいないのかい」
「ええ。でも、ひとつだけ悔しかったのはピアノのことね。兄は幼い頃からピアノがとてもうまかったの。ピアノの先生にも筋がいいとか誉められて。それを聞いた時のうちの親たちの鼻の高さったらなかったわ。だから親たちは兄のことをプロのピアニストにしたかったみたい。うちの親も兄には惜しまずにお金をかけているのよ。ピアノのお稽古にも、ほぼ毎日のように通わせていたし。貧乏な私のうちに、およそ不釣合いなほど立派なピアノがあるのもそのせいなの。私も一応ピアノのお稽古に何度か通いはしたのよ。でもすぐにやめさせられてしまったわ。この子はあまり筋が良くないって先生に言われちゃって。うまくなる見込みもない者にお金をかけるのは無駄だと思ったんでしょうね。ひどいのよ、うちの親ったら。それ以来というもの私にはピアノにさわらしてすらくれないの。そのピアノはお兄ちゃんのです、汚い手でいたずらするんじゃありません、って言って。くやしかったわね、やっぱり。だから時おり私の他には家のなかに誰もいなくなることがあるとするでしょう。そういう時には思いきりピアノを弾きまくってやったわ。とは言ってもちゃんとした弾きかたなんか誰からも教わっていないから、全くの自己流でしかなかったんだけれども」

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