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9番目の夢.14 [20才と31才の恋話]

 夏代が昇と同じ会社で働きはじめて十日ほどたった、ある日のことだ。
「はい、二階です。えっ。ああ、いますよ。少々お待ち下さい」
受話器を片方の手に持ったまま、あいている方の手をつかって昇は夏代に手招きをしてみせた。

「おい、夏代。外線で夏代に電話がかかって来ているそうだぞ」
「えっ、私に。いったい誰かしら」
昇から手渡された受話器をかかえこむようにして夏代は電話に出る。

「もしもし。お電話かわりました。なあんだ、驚かさないでよ。会社にはなるべく電話してこないでって言っといたじゃない。こっちは忙しいんだから。えっ、何ですって」
 電話で話をしている夏代の顔が、いきなり翳った。何やら良くない知らせらしい。夏代の美しい顔が、みるみるうちにひきつっていく。横から覗きこむように夏代を見まもっていた昇には、その変りようをはっきりと見てとることができた。

「うん。わかった。じゃあ今夜また後で、こちらから電話するから。何時頃がいいの。とりあえず七時から八時の間ね。うん、わかってるってば。じゃあまた、その時に」
 受話器を昇に返して夏代は天を仰ぐようにし、ひとつ大きくため息をつく。

「どうした。誰からだったんだい。何かまずいことでもあったのか」
「親からよ」いつもにもましてうるんだ眼で、夏代は昇の方へと振り返った。心なしか涙ぐんでいるようにさえ見える。「帯広に住んでいたおばあちゃんが危篤らしいの」
「何だって」

「それが今朝、いきなり倒れたって言うのよ。ゆうべまでは全く何ともなく、とても元気だったそうなのに」
「へえ。そいつはいけないな。で、いったい何の病気だって言うんだい」
「それが、まだわからないんですって」
「何だ、そりゃあ。でもそれじゃあまだ、何もだめだって決まったわけでもないんだろう。危篤だなんて、夏代の親御さんが大げさに言ってるだけなんじゃないか。きっと何かのまちがいだよ」

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9番目の夢.13 [20才と31才の恋話]

「最初の挫折は中学校を決めた時ね。私はわりに入るのが難しいと言われている私立の学校へ行きたかったの。兄もそこへ行ってたし。それで一生懸命に勉強してたのよ。その学校に受かるためにね。受験すれば大丈夫、きっと受かるだろうというくらいの自信はあったわ。でもね。親に言われてしまったの。あなたは普通の公立にしておきなさいって。家にはもうお金がありません、お兄ちゃんの学費だけで精一杯なんですってね」
「それはひどい話だなあ」

「でしょう。それ聞いて私、もう荒れたわよ。私がこれまで頑張ってきたのは、いったい何のためだったのかって。それからというもの私は、きっぱりやめてしまったんだわ。真面目に頑張ったり、いい子のふりをしたりすることは一切。勉強もしなくなったから成績はおちるし、親や先生にもどうしたんだって叱られるし。でも私は自分の考えを決して変えなかった。私はその時、かたく心に決めていたの。これからはもう誰のことも気にかけないで、自分のやりたいように生きていくんだって」
「なるほど」

「誰も私のことなんか、かまってもくれないし必要としてもくれないんだわ。でもいいの、それならそれで。私も好きにさせてもらうから」
 そう言いきって夏代は目をふせる。昇は何だか、とても哀しい気持ちになった。目に見えないため、それがそこにあるということを思わずうっかり忘れてしまっていた壁に思い切りぶつかってしまったような気持ちだ。昇にとって夏代はその壁の向こう側にいる。姿は見えているが手を届かせることはできない。

「私は余分に生まれてきたのよ。でも私は生きつづけるわ。少なくとも二十五歳になるまではね。せっかく生まれてきたんだもの。せめてやりたいことをやらせてもらわないと」

「少なくとも二十五歳まではって、その後はいったいどうするんだい」
「先のことは考えてないわ。死んじゃうかもしれない。スーパーのバーゲンで先を争って品物を奪いあうような、醜い中年の小母さんには死んでもなりたくないし」

「また、えらくあっさり言ってくれるねえ。死んじゃうかもしれないだなんて」
「いいのよ。どうせ私のことなんか、誰も愛してくれないのだもの。このまま誰にも愛されずに終わるの」

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9番目の夢.12 [20才と31才の恋話]

 夏代の育った家庭について、昇はいちど彼女の口から長い身のうえ話を聞いたことがある。あれは夏代が、まだ高校に通っていた頃だ。確か細かい雨が降りしきる、うす暗い午さがりのことではなかったか。

「うちは兄の出来がよすぎたのね、きっと。彼は学校での成績もよかったし。男にしておくのはもったいないくらい、きれいな顔だちをしていたし。きっとうちの親の遺伝子のいいところは、すべて彼がひとりじめしてしまったんだわ。そして悪いところが、みんな私にまわってきたってわけ。うちの親はそんな兄のことを、とても誇りに思っていたみたい。兄のことばかり大切に大切にかわいがっていてね。私のことなんか全くかまってもくれず、いつもいつも放ったらかしにされていたわ」

 そう語りながらも、夏代は決してそんな自らの親たちのことを責めたてるという風ではない。むしろ何か他人事をでも語るかのように、淡々と言葉をつづけるのだった。

「だけどそのほうが私にとっても、むしろ都合はよかったの。兄は無理矢理いわゆる、いい学校へ入れられてしまったし。まあ本人もそれを望んでいたというか、それが当たり前だと思って疑うことすらしないでいたみたいだけど。でも私のことについてとなると、うちの親は口出しなんか全くしてもくれなかったわ。あなたは独りで勝手になさいって感じね、言ってみれば。そこで私も、ひらきなおったってわけよ。だったらおっしゃるとおり勝手にさせていただきましょうじゃないのって。そう考えると私は、むしろ親に感謝するべきなのかも知れないわ。おかげで私は今まで好きなことを、それこそ勝手にやりたい放題してこられたのだから」

「じゃあ夏代は、そのことで親御さんたちのことを少しも恨んではいないのかい」
「ええ。でも、ひとつだけ悔しかったのはピアノのことね。兄は幼い頃からピアノがとてもうまかったの。ピアノの先生にも筋がいいとか誉められて。それを聞いた時のうちの親たちの鼻の高さったらなかったわ。だから親たちは兄のことをプロのピアニストにしたかったみたい。うちの親も兄には惜しまずにお金をかけているのよ。ピアノのお稽古にも、ほぼ毎日のように通わせていたし。貧乏な私のうちに、およそ不釣合いなほど立派なピアノがあるのもそのせいなの。私も一応ピアノのお稽古に何度か通いはしたのよ。でもすぐにやめさせられてしまったわ。この子はあまり筋が良くないって先生に言われちゃって。うまくなる見込みもない者にお金をかけるのは無駄だと思ったんでしょうね。ひどいのよ、うちの親ったら。それ以来というもの私にはピアノにさわらしてすらくれないの。そのピアノはお兄ちゃんのです、汚い手でいたずらするんじゃありません、って言って。くやしかったわね、やっぱり。だから時おり私の他には家のなかに誰もいなくなることがあるとするでしょう。そういう時には思いきりピアノを弾きまくってやったわ。とは言ってもちゃんとした弾きかたなんか誰からも教わっていないから、全くの自己流でしかなかったんだけれども」

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9番目の夢.11 [20才と31才の恋話]

 では。そこいら辺のトモダチの一人が話してくれた、私の大好きな話を一つ。
 そのトモダチは昔、フランス語も分からぬままフランスへ行き、地下道でギターの流しをやって生活したことがある男なのですが。フランスでの生活を始めたばかりのとある日。特に理由もなく、彼は香水屋さんにぶらりと立ち寄ったそうです。買う気もない香水を眺めながら、彼は、店員と客の間で交わされる会話を何とはなしに聞きましたとさ。

  客 「ぷっじゅうなんたらかんたらどうのこうの?」
 店員 「うんたら(と言って客のてのひらに香水をシュッと出す)」
  客 「(香りをかいで)うぅん、うにゃらうにゃら」

 くどいようですが、彼はまったくフランス語が解らないわけです。しかし彼曰く、そこで話されている言葉の響きが美しかった、そりゃあもうものすごく美しかったと。いきなり感動し愕然としてしまった彼は、その店で何度も何度も交わされる同じ会話をただただ聞いていたそうです。

 どうやら、
  客 「この香水の香りをかがせて頂けませんか?」
 店員 「どうぞ」
  客 「うぅん、とても良い香りです。どうもありがとう」
 それだけの会話らしいのですが。特に「この香水の香りをかがせていただけませんか」という意味らしき部分の響きが特に美しいと。

 あんまり長いこと同じ言葉ばかり聞いていたものですから、彼はヒアリングでそれを覚えてしまいました。覚えてしまったからには自分で実際にその言葉を発してみたい。当然ですやね。彼は緊張しながら、客の真似をして言ってみたそうです。
  「この香水の香りをかがせて頂けませんか?」
 すると店員が「どうぞ(シュッ)」
  「うぅん、とても良い香りです。どうもありがとう」

 店員がちゃんと答えてくれたことが嬉しかったのか。
 はたまたその綺麗な言葉を発する事の出来る自分が嬉しかったのか私は知りませんが。
とにかく嬉しくて嬉しくてどうしようもなくなった彼は店を飛び出しました。そしてその日のうちにあてもなく香水屋を探して走り歩き、店を見つけては入って行き、同じ会話を繰り返したんだそうな。

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