So-net無料ブログ作成
検索選択

9番目の夢.10 [20才と31才の恋話]

 昇は夏代のことを守ってやりたかった。夏代に決して暮しの重みなどを味わせたくはなかった。さいわい昇は充分ふたりでも暮していくことが出来るだけの金を稼いでいる。夏代さえそれを受け入れてくれるなら、昇が夏代の親がわりとなって、彼女の暮しをみてやることもできるはずだ。そして夏代の側にさえその気があるならば、ふたりで暮していくことだって出来るだろう。昇と夏代の両方がそれぞれ独り暮しを続けるよりは、ふたりで一緒に暮した方が金もかからずにすむのだから。それに何より夏代とふたりで暮すことができるなら、それは昇にとっても愉しい日々となるに違いない。

 あるいは、今からでも大学へ戻りたいという気持ちが夏代にあるならば。学費を立て替えてやってもいいとさえ昇は考えていた。夏代が大学を出て働きはじめてから、少しづつでも返してもらえればそれでいいのだし。あるいは全く返してもらえなくたって何らかまいやしない。夏代のためになら、金などいくら使ったところで昇は全く惜しくもなんともないのだ。しかし夏代は言う。大学を休学したのは何も親から勘当されて学費が続かなくなったためばかりではないのだと。

「そういえばセンパイには、まだ話してなかったんだっけ。私が大学を休学しようと思うようになったきっかけを。ちょうどいいわ。こないだそのあたりについての話を、学内で出している雑誌に投稿して掲載されたばかりだから。今度センパイにも、それを読んでもらうわね」

 夏代が書いたという文章は、彼女があくる日会社に持って来て見せてくれた学内誌とやらの、見開き二ページほどを使って掲載されていた。「夏代は割と頑張った。今は幸せに暮らしてる。」と題された、次のような文章だ。

「皆様お元気でしょうか。
 本当にお久しぶりです。あなたの夏代です。
 ここんとこ、本当に、ひどく忙しかったんです。なかなか原稿を送れなくて、編集長と発行人、それから数少ない私めの支持者の方々には多大なる迷惑をかけてしまいました。申し訳ございません。でもあんまり反省してないのよね。
 実は先日、ようやく休学が成立いたしまして。はい。
 まあ、とにかく休学する前に、皆様に一言ご挨拶させて頂きたく思いまして投稿した次第でございます。やっと暇もできたことですし。

「9番目の夢」の続きを読む


nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:恋愛・結婚

9番目の夢.9 [20才と31才の恋話]

 昇が親元をはなれて独り暮しをはじめたのは、彼がまだ高校生の時だった。
 独りで気ままに暮らせることを喜ぶ気持ちが、全くなかったとは言わない。
 だが、いざ本当に独り暮しをはじめる前にはやはり、どちらかと言えば不安な気持ちの方が大きかったように覚えている。
 自分は本当に独りでやっていけるのだろうか。家事のたぐいを何もかも、きちんとこなしていくことが出来るのだろうか。病気になってしまったら、いったいどうすればいいと言うのだろう。

 明るいうちはまだいい。やらなければならないことも多いし、それなりに気を紛らわせていられるから。だが自分で夕食の用意をし、ひとりの部屋でそれを食べ終えた後、昇は何だかすっかり気がぬけてしまうのが常だった。もはや何も手につかず、何もやる気になれそうにない。食事の後かたづけを放っぽりだしたまま、昇は畳のうえに身を投げうって大の字に寝ころぶ。そしてとりとめもなく考えるのだ。こんな暮しが、いったいいつまで続くのだろう。このさき僕はいったい何と出会い、どのような日々を迎えることになるのだろうかと。

 それは若さのもたらす青くさい思いにすぎなかったのかもしれない。現にあれから長い月日を経てきた今となっては昇も、そのような思いを抱いて気が滅入ることなど全くなくなってしまった。だがあの頃のような先行きに対する不安が昇の心から、全く消え去ってしまったというわけではないのだろう。あれから十年以上たった今なお昇は、どこへもたどりつくことが出来ずにいるのだから。

 そして今。昇は自らの身の上を案じるかわり、夏代の暮しに思いをはせる。

 はたして夏代は本当に大丈夫なのだろうか。無事に独り暮しをやりすごすことが出来ているのだろうか。彼女に独り暮しなんかさせておいて、いいのだろうか。表むきはいつも強がってみせているものの、その実はとても気が弱くて淋しがり屋のあの夏代に。引っ越したばかりの、ひと気もなく家具だって決してそろってはいない部屋で、夏代はひとり何を思っていることだろう。

 もちろん今の夏代は、もはや何も高校生ではない。だが二十歳になった今の夏代と高校生だった頃の昇とのふたりを較べて、どちらがより芯が強いかと訊ねたならば。誰の目にも答えはわかりきっているというものだ。
 夏代は、はたして本当にわかってるのだろうか。他の誰のたすけをも決して頼ることなく、ひとり自らの力だけで暮していくということが、いかに厳しく辛いのか。暮していくに足るだけの金を自らの手で稼ぐのが、はたしてどれだけ大変なのかということを。

「9番目の夢」の続きを読む


nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:恋愛・結婚

9番目の夢.8 [20才と31才の恋話]

 会社における昇の朝は、その日一日の仕事について夏代と打ち合わせを行うことから始まる。
「夏代。新しい部屋には、もう慣れたかい。引っ越しの後かたづけやなんかは、もう終わったのかな」
「ええ。おかげさまで」

「すまなかったね。何もお手伝いに行けなくて」
「しょうがないわよ。男子は絶対禁制のアパートなんだもの。来てもらったって申し訳がないだけだわ」
「それにしてもさ。今どき男子禁制のアパートってのも珍しいよな。寮とかならともかく」
「もう異常よね。引っ越しの時でさえ、男の人に荷物の運びこみを手伝ってもらっちゃいけないっていうんだから」

「まあ、男子禁制の方が俺は安心していられるけどな。夏代に悪い虫がつかなくて」
「センパイ、やめてくださいよ。そんな、口うるさい親みたいなことを言うのは」
「へん。どうせ俺は夏代の親みたいな齢ですよ。あまり年寄りをいじめるもんじゃないぜ」

「そういじけないで。ところでセンパイ、今日のお仕事は何をやればいいの」
「おう。じゃあすまないが、さっそくとりかかってもらおうか。今日はまず計画書の文章を打ち込んでもらわなくっちゃならないんだ。夏代はさあ、キーボードからの打ち込みなら、これはもうお手のものだよな」
「まかせてくださいよ。最近ついに、キーボード見なくても打てるようになったんですから」
「ほお、そいつはすごい。俺ですら完全に見ないでは打てないというのに」
「それで、この原稿を打ち込めばいいんですか」

「ああ、そうだ。そうだけど夏代、ちょっと待った。今ふと思ったんだけど、今のうちにひとつちゃんと訊いておくことにしよう」
「えっ、何ですか。また改まっちゃって」
「夏代さあ。夏代はこの会社で、いったいどんな仕事をしたいと思っているんだい」
「はあ。センパイの言っている意味が、ちょっとよくわからないんですけど」

「9番目の夢」の続きを読む


nice!(3)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:恋愛・結婚

9番目の夢.7 [20才と31才の恋話]

 それからというもの。毎日はたらきながら、たまに休みの土曜日や日曜日など、夏代が通っている高校へ顔を出したり、あるいは野や山で、夏代と顔をあわせる日々が続いた。働いて金を稼ぐということは、何であれ決して楽なことではない。時にはいやな思いを強いられることもあるし、すべてを投げ出してしまいたくなることさえある。そんな時。夏代に会って話をするのが昇にとっては数すくない愉しみであり、気晴らしでもあった。夏代と顔をあわせていると、何だかとても心が休まるような気がする。嫌なことや世のなかのしがらみを、たとえひとときでも忘れることができる。今はただ何も考えず、この夏代との語らいを愉しんでいていいのだという気にさせてくれる。自らがこれまで生きてきた道のりはすべて正しかったのだと思わせてくれる。実際には寄り道と間違いだらけだったはずの道のりを。

 そのうちに昇と夏代とは、お互いに気づくこととなった。齢の違いにもかかわらず、ふたりはお互いものの考え方が、わりに似通っているということを。同じ好みや同じこだわりを抱えこんで生きているということを。見た目にはかなり遠く隔たっているように思われるお互いの生き方に、実はけっこう相通じるところがあるということを。そして何よりも、ふたりが同じ夢を持っているということを。
 昇と夏代のふたりはいづれも、いつかは文章を書くことで身を立てたいと考えていたのだ。

「えっ。センパイって、小説も書いていたんですか」
「小説ったって、ただの習作だよ。別に活字になったとかいうわけじゃないし、それどころか誰かに読んでもらったことさえ、まだ一度もないんだ。それより夏代。小説も、っていうのは一体どういう意味だい」

「だってセンパイは手紙も書くじゃあないですか」
「手紙ねえ。でも夏代。手紙なんてのは、誰でも書くものなんじゃないのかい」
「センパイの書かれる手紙を、そこらにある普通の手紙と一緒にしてほしくはないですね。センパイの書く手紙は、とってもとっても特別なんです。こないだ私がもらったお手紙だって、そうですよ。読ませていただいて思わず感動しちゃいました。あんな美しい文章の手紙を誰かからもらったのなんて、少なくとも私にとっては生まれてはじめてのことでしたから」
「まあ、そこまで言ってもらえれば書いた方としても嬉しいけどね」

「9番目の夢」の続きを読む


nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:恋愛・結婚
メッセージを送る