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9番目の夢.5 [20才と31才の恋話]

 夏代と一緒に働くことを考えたのは、昇にとって何もこの時がはじめてというわけではない。彼らふたりには夢がある。いつの日にか小さな出版社をつくり、そこで彼らふたりが編集した雑誌を出すという夢が。だがそのためには、それなりの資金を貯めなくてはならないだろう。この夢が本当にかなうまでには、まだかなりの月日がかかるに違いない。

 そんな遠い先の話を持ち出すまでもなく。夏代が高校を卒業した時にも、昇は夏代と一緒に働くことが出来るものと考えていた。夏代が大学に合格できなかった場合には、いま昇が勤めている職場で夏代をしばらくの間でも雇ってもらおうと目論んでいたのだ。夏代が大学に受かったため、これは実現しなかったわけだが。その時の夢がこのたび、二年遅れではあるものの、ようやくかなったことになる。

 あくる朝。夏代は道に迷うこともなく無事、八時半に会社へやってきた。部屋の掃除をすませ、朝のお茶をいれてから、昇はさっそく夏代に仕事を覚えてもらうための研修をおこなうことにする。

「じゃあまずはこの会社がどんな仕事をしているのか、ということから説明をはじめようか。この会社は、ひとことで言うと建設コンサルタントの会社なんだ」
「何それ。いきなり建設コンサルタントだなんて言われても、どういうことだかちっともわからないわよ」

「まあ、ぴんとこないのも無理はないだろうな。普通の生活をしている普通の人にとっては、一生かかわる機会がないかもしれないような仕事だからさ。でもね夏代。ビルを建てたり道を作ったり、どんな建設工事であれ、それを行う前には必ず設計という作業が必要とされているんだよ」
「設計って、すなわちデザインのことね」

「そうそう。でも、外見の見てくれを決めるばかりが何もデザインじゃない。その外見にするための材質や、その強さなんかを考えることも大切になってくる」
「なるほどね」

「そこでだな。工事の時どこにどのような力がかかるか、あるいはどこにどのような力がかかってどれくらい形が変わってしまうのか、そんなことを全てあらかじめ計算して予想を立てるんだ。その上でどこをどれくらいの強さにするか決めるってわけだな。どこにどういう材料を使えば、どれくらいの強さになるはずだ、っていうふうにね。そして工事を行う時には建設現場に計測用の計器をとりつけて、実際にどれだけの力がかかっているのかを計ったりもするんだぜ」
「へえ、そんなことまでしてるんだ」

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9番目の夢.4 [20才と31才の恋話]

「大丈夫かしら、いきなり面接を受けたりして。全くそんなつもりじゃなかったから何も心の準備が出来ていないし、だいいち私お化粧だってしてないというのに」
「大丈夫、大丈夫。夏代はまだ若いんだからさ。素顔のまま、そのままで充分きれいだよ。それに社長とは、わりに仲がいいんだ。僕のことを目にかけてくださっていてね。僕がこれまでに口を聞いた他のアルバイトに関しても、気に入ってもらっていたみたいだしな。僕の紹介なら文句なしに採用してもらえるだろう」
「そこまで言われて採用してもらえなかったら、私はまるで立場がないわよね」
「ものごとをそう悲観的に考えるなって。今コーヒーをいれてきてやるからさ」
「あ、すみません」

 夏代のためにコーヒーを沸しながら、昇は考えた。それにしても夏代の奴、全くおちこんだようすがない。親から勘当されたというから、少しはしょげているかと気づかっていたというのに。むしろ今みづからがおかれている状況を楽しんでいるかのようにすら見える。本当にしょうのない奴だ。なるほど、夏代の親もそんな彼女のありさまに、いいかげん愛想をつかして勘当などという大げさな仕打ちにおよんだものなのだろう。その気持ちは昇にも少しだけわかるような気がしないこともない。もちろん僕が夏代の親だったなら、そんな彼女のことを決して勘当したりなどせず、むしろ激しく抱きしめてやるのだが。

「夏代、履歴書はもう書けたのかい。ようし。じゃあそれを持って、三階について来ておくれ。社長に会ってもらうから。社長に夏代を引きあわせたら僕は自分の席に戻って仕事をしているからさ。面接がおわったら、また二階にきてくれな」

 夏代が昇の席に戻って来たのは、社長による面接がはじまってからまだ十分たったかたたないかという頃だった。
「あれ。どうした。面接してもらえなかったのか」
「いいえ。もう終わったのよ」
「へえ。早いな。で、どうだった」
「ええ。さっそく明日から来てくれって。とてもあっさり決まったもんで、何だか気がぬけちゃった」

「そうか。でも、まあ決まってよかった。ところで仕事は何をしてもらうことになるか、聞いたかい」
「とりあえず二階でセンパイの仕事のお手伝いをしてくれって言われたわ」
「何だ、それじゃあ夏代は俺の部下だっていうことじゃないか。そりゃあいいや。全く知らない人の仕事をするよりも、気心がしれているだけ夏代も気が楽だろう」
「センパイのお手伝いなら慣れてるしね」
「ああ。そういえば昔、よく原稿の清書やなんかの仕事を頼んだことがあったっけ」

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9番目の夢.3 [20才と31才の恋話]

 昇が交差点につくと、物陰からふらりと夏代が姿をあらわした。すらりと伸びた背。腰にまで届くかと思われる長い髪。いつもうるんでいるように見える大きな瞳。そして透きとおりそうな白い肌。あいかわらず美しい。いや。しばらく会わずにいた間に、前より輪をかけてきれいになったと言えるだろう。すれ違う男のほとんどが振りかえるだろうほどの、いい女だ。彼女のことは見なれているはずの昇でさえ、思わず何もかもを忘れたまま夏代の顔に見とれてしまいそうになる。

「おはようございます。早かったのね」
「ああ。まあ歩きながら話そうか。あっ、先に渡すべきものを渡しておいた方がいいかな。これを忘れると、いったい何をしに来たのかわからなくなっちまうし」
「すみません。なるべく早く返しますから」

「いいってことよ。今のところ幸い、とりあえず金には困っていないからさ。それより夏代。夏代こそ、これからどうするんだ。親から勘当されたということは、部屋代どころか生活費も自分で稼がなくっちゃいけないってことだろう」
「そうなのよ。だから大学は休学しようと思ってるの。学費なんか、とうてい払いきれないし。それに学校へ通っていたらアルバイトも、ろくにできやしないから」

「アルバイトは、もう決まっているのかい」
「まだよ。今日も手付金を払いこんだ後、夕方に塾の講師の面接を受けるつもりなの」
「アルバイトは、どういうのをやるつもりをしているんだ。何か、これといった希望があるのかな」
「とりたてて何もないけれど。とにかく、しばらくの間は朝から夜まで働かなくっちゃ。でないと借りたお金も返すことが出来ないしね」

「じゃあ夏代さ。これから、うちの職場に来てみないか。うまくするとアルバイトで雇ってもらえるかもしれないぜ」
「それって、いいかもしれないわね。でもセンパイの働いてる職場って、コンピューターの会社なんでしょう。私なんかに勤まるかしら」
「コンピューターの会社ってわけじゃないよ。コンピューターを使って仕事をしているというだけで。それに夏代なら頭はいいからな。仕事なんか、すぐに覚えることが出来るに違いない」

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9番目の夢.2 [20才と31才の恋話]

「またまた御冗談を」昇のたわむれ口を軽く受けながして夏代は言葉を続ける。「実はねえ、センパイ。私、親から勘当されてしまったのよ」
「えっ。勘当って、あの、親子の縁を切るという勘当かい。へええ。そりゃすごい。勘当だなんて、映画や小説のなかだけの話かと思っていたけどな。自分の子供を勘当する親なんて、今時まだ本当にいたんだねえ」

 夏代は昔から突拍子もないことをしでかしては昇のことをふりまわすのが常だった。だから昇も、もはや勘当くらいで簡単に驚いたりはしない。
「それで親の家を出なければならなくなっちゃって。ここしばらくの間は友だちの家を泊まり歩いていたの。でもいつまでもそんなことばかり、しているわけにはいかないでしょう。というわけで部屋を探すには探したんだけど。明日までに手付金を払ってくれって言うのよね。ところがどうしても四万ほど足りないのよ」

「部屋なんて、俺に言ってくれれば何とかしたのに」
「ありがとう。でも、もう決めちゃったから」
「そうか。じゃあ、まあとにかく明日のあさ会おう。待ってるからな」
「ええ。本当に急なお願いでごめんなさいね。それじゃあ、お休みなさい」

 受話器をおいてから暗い部屋のなかで昇は、ひとり考える。夏代と会うのも結構ひさしぶりだ。明日のあさ顔を会わせた時、そのまま会社など行かずにゆっくり夏代と話をすることができるならいいのだが。

 あくる朝。八時になっても夏代は姿をあらわさない。しかたがないから、もう出かけよう。どうせ、あの寝起きが悪い夏代のことだ。泊まり込んでいる友だちの部屋で夜ふかしをして、今頃は寝坊をしているに違いない。目をさましてから連絡をしてくるにしても、きっと部屋ではなく会社の方に電話をかけてよこすはずだろう。そう考えて昇が、まさに部屋を出ようとした時だった。けたたましく電話が鳴ったのは。

「センパイ、ごめんなさい。私、道に迷っちゃったみたい」
「道に迷ったって、夏代さあ。これまで、いったい何回うちに来たことがあったと思ってるんだ。今さら道に迷ったりなんか、するなよな」
「そう言わないでよ。ほら、今日は友だちのうちから来ているでしょう。いつもと道が違うから、わかんなくなっちゃったの。センパイんちの、わりと近くまで来ているはずだとは思うんだけど」

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