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遍歴の末に伴侶を選ぶ [恋愛小説などから学ぶ]

チャールズ・ディケンズ『デイヴィッド・コパフィールド』岩波文庫など

 チャールズ・ディケンズが書いた The Personal History, Adventures, Experience, & Observation of David Copperfield The Younger of Blunderstone Rookeryという物語がある。まあもともとの題があんまり長いので、普通はデイヴィッド・コッパーフィールドとのみ呼びならわされているけどね。英語を母語とするひとびとの間では、かなりひろく読まれている物語だ。ほとんどのひとが、たとえ実際に読んだことはなくても大まかな筋くらいは知っているらしい。さしずめ日本でいえば夏目漱石の「吾輩は猫である」や「坊つちやん」よりもよく読まれているといった感じになるのだろうか。したがってUKやUSAのひとびとのものの考えかたや感じかたを、本当にわかるためには。必ずやこのデイヴィッド・コッパーフィールドを読んでおかないわけにいくまい。

 だがよく読まれているということと物語としての出来のよさとは、まったく別のものだ。「坊つちやん」が決して漱石の代表作とは言えないのと同じように。もう長いこと玄人すじの間でこのデイヴィッド・コッパーフィールドは、とかくさげすまれてきた。おそらく、それも無理はないのだろう。幼いデイヴィッドが継父にいじめられるくだりの、お涙頂戴ぶりや。まったくの勧善懲悪に終わる、できすぎた結末や。偶然が多すぎる安易な筋のはこびなど。あるいは登場人物たちの性格が、いづれもステレオタイプなことまでも含めて。実にさまざまなわざとらしさが、読んでいて気にかかる。

 しかし、それにもかかわらず。この作品にとてもすぐれた何かがあるということは、素直に認めていいのでなかろうか。作品のいたるところに散りばめられている伏線も実に意味深長だし。何よりもいくつかの場面が、きわめて美しい。ステァフォースの死のくだりやドーラのいまわのきわの科白などを読むたびにボクは、いつも目がしらが熱くなるのを禁じえなかった。我ながら恥ずかしい話だとは思うけれども。

 さて、そこでアグネス・ウィックフィールドだが。彼女はデイヴィッドがその幸せな学生時代に下宿していた家の娘だ。すなわちデイヴィッドにとって彼女は、共に育った幼な友だちだということになろうか。困った時やあるいは誰かに恋をした時デイヴィッドは必ず、それをアグネスにうちあける。するとアグネスはいつでもデイヴィッドを励まし、あるいは助言をあたえて彼のことをささえ助けるのだ。そんなアグネスのことをデイヴィッドは、教会のステンド・グラスに喩えてみせた。そのくだりを下に訳してみよう。

私は可愛いエミリーを愛している。アグネスのことは愛していない。エミリーを愛するように愛してはいない。でもアグネスのいるところ、常に何か善なるものと安らぎと真実とがあるのはわかる。いつか遠い昔に教会の色つき窓からさしこんでいたような柔らかい光が、いつでも彼女にはふりそそいでいるのだ。しかもその光は彼女とともにいるかぎりこの私にも、また周りのすべてのものにもあまねくふりそそぐ。―――

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女性心理を股間に語る [恋愛小説などから学ぶ]

姫野カオルコ『受難』文春文庫

『受難』の女主人公には人面瘡、すなわち人の顔の形をした痣ができてしまいました。
 しかも、その人面瘡は口をきくことができるのです。
 男言葉で口をきく人面瘡のことを女主人公は、古賀さんと呼ぶようになります。
 そして古賀さんは、女主人公の体の別の場所へ移動することもできるのです。
 なので古賀さんは第三者に見られてしまわずに済む、女主人公の股間に居つくようになります。

 おそらく「股間に居つくようになった」ということから想像できるとおり、女主人公と古賀さんは性的な内容の会話も交わすようになります。
 しかし性的な内容の会話だけに限らず、いろいろと恋愛などに関して語りあうのです。
 女主人公が、女性ならではの心理について古賀さんに語る場面も多いのです。
 作者の姫野カオルコは、女性だと思われます。
 そのためか『受難』の女主人公が語る「女性ならではの心理」は、男性である私(梧桐)にとっては初耳で意外に感じられたものなどもありました。
 たとえば『受難』の中には、次のように書かれている箇所があります。

 たとえば結婚詐欺師がいるとする。なんてきみはすてきなんだ、きみの瞳は湖のようだ、愛してる、結婚しよう、でもちょっと金に困っててね。貸してくれるかい。そう言って金をまきあげて逃げる。(中略)
 金を貸してくれと言われる前から被害者は彼の嘘に気づいている。きみの瞳は湖のようだ。これが自分に該当するはずがない。そんなことは熟知している。そこへ金を貸してくれ、だ。やっぱりね、とさっと心に影が走る。しかし、一縷の錯覚にすがる。
「すがりたいんだわ。一縷の甘美な気分だけに。それを、あいつは結婚詐欺師です、なんて教えられたら、一縷もなくなっちゃうのよ」
「いやいや。バカには教育が必要だから教えてやんなくちゃならない。おまえのようなものが、その顔で、そのスタイルで、ひとときでも自分の瞳は湖のようだと信じた愚かさを」
「被害者は信じてなんかいなかったのよ。湖のような瞳ではない者に、きみの瞳は湖のようだと言うような恥ずかしい言動をしてくれた、その勇気に感動したのよ」

 女の人が「きみの瞳は湖のようだ。これが自分に該当するはずがない。そんなことは熟知している」ですとか、それでも「きみの瞳は湖のようだ」と言われたら感動してしまう――
 そんな女の人たちの心理と言いますか習性が、男である私には参考になるのです。

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女にとって男は消耗品? [恋愛小説などから学ぶ]

村上龍『すべての男は消耗品である。』集英社文庫など

 村上龍が雑誌に連載した雑文を収めた『すべての男は消耗品である。』は13巻まであり、単行本や文庫本は巻によって、いろいろな出版社から出版されています。
 しかし初巻は今では集英社文庫の一冊として出版されている他、電子書籍も出版されています。
 なお、電子書籍では全13巻を収めた「完全版」も出版されています。
 そして初巻に収められた「すべての男は消耗品である」という題の文章には、次のような逸話が掲げられています。

オレとオレの友達とその恋人と三人で、青山の広いバーにいた時のことだ。ステーキがうまい店だった。オレの友達とその恋人は、別れ話に花を咲かせていた。オレの友人はものすごく明るい奴なので、笑って別れようというつもりだったのだが、そうはいまくいかなかった。いくわけがない。女の方が泣き始めた。
 かわいい女だったので、まわりの客達もみな好意的な眼差しを向けてくれていた。そんなかわいい女を泣かせて悪い奴だ、などと思われて少しうれしかったのか、それとも単なるテレか、オレの友人は終始笑いながら、
「な、決して、愛がなくなったわけじゃないんだよ、疲れてしまったわけでもない。君の幸福を考えると、オレ達は今、別れた方がいいと思うんだ」
 などと都合のいい、勝手なことを言っていた。そこで、その店自慢のステーキが出た。泣いていた女は、ステーキを食べた。二切れ食べて、オレの方を向き、こう言ったのだった。
「おいしいっ、リュウさん、このステーキ、本当においしいわよ、冷めないうちに、食べたら」
 両の瞳を涙で濡らして、そう言ったのだ。オレは、唖然とした。オレの友人も唖然としていた。
 女の涙は本物だった。間違いなく彼女は悲しみの極みにいたのだ。
 そこでオレ達は推測する。メシは喉を通らないのではないか……そんなことはない、通るのだ。おいしいっ、と言って、どんな時にでも、女はステーキを食べるのだ。そんな女に、かなうわけがない。

 そしてその少し先では、次のように書かれているのです。

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『恐妻記』は反面教師? [恋愛小説などから学ぶ]

北杜夫『マンボウ恐妻記』新潮文庫

 医者でもあった北杜夫は「どくとるマンボウ」を名乗り、『どくとるマンボウ航海記』などの長篇エッセイを書きました。
 しかし後には「どくとる」を省き、『マンボウ家族航海記』などという題の本を出版するようになります。
 そして『マンボウ恐妻記』は、北杜夫が自分の妻との関わりについて描いた長篇エッセイなのです。

 本書の「はじめに」では「私の妻は良妻だったのか、悪妻だったのかというと、どちらとも決めかねている」と書かれています。
 しかし本書の中では新婚当時について、次のように書かれているのです。

私は念願かなって医局勤めを辞め、兄の医院の手伝いをする日を除いて作家活動に専念し、自室に閉じこもって執筆に励んでいた。妻にしてみれば夫との私とは食事のときくらいしか話をする時間がないのに、私は新聞を広げ、食事中に妻が話しかけてもろくに返事もしなかった。(中略)
 私は何もかも独身時代の延長で、結婚したという自覚が乏しかった。妻は心細かったことだろう。

 しかも1927年に生まれた北杜夫は「三十歳代の終わりになって」躁鬱病を患い、「昭和四十一年の四月」に躁状態になりました。
 当時の様子が本書では、次のように描かれています。

たとえば、妻に郵便物を出しておいてくれと言ったのに、三十分たってもそのままにしてあると、
「バカ! なんでオレサマに言われたことをすぐやらないんだ。ぐずぐずするな。何をしていやがるんだ。早くやってくれ。このノロマ!」
 と、すごい剣幕で怒鳴った。

 さらに「四十代の後半になると躁病はますます昂じて、つに株に熱中し始めた」そうです。
 お金を知り合いから借りまくってまで株の取引につぎこむのですが、大きな損を出してしまいます。
 その頃のことが本書には、次のように書かれています。

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