批判を誉め言葉で言う効果 [読者の皆さんと考える]
今日は「相手の欠点などに言及する際、それを誉め言葉の形で言うことによって良好な関係を保つ」というノウハウのご紹介です。
つい最近、この話をするため非常に好都合な具体例が当塾にあったことに気がつきましたもので。
中島みゆきが作詞と作曲をして吉田拓郎が歌った「永遠の嘘をついてくれ」という曲について先日、当塾の「25歳からガリ勉がモテる?」の頁で次のように書かせていただきました。
どうやらyamakawaさんは吉田拓郎の「嬬恋コンサート」で中島みゆきが「永遠の嘘をついてくれ」を歌った時の映像を、ご覧になったようです。
あの曲の人気が吉田拓郎ファンの間で高いのは、あの時の共演も一因となっているのではないでしょうか。
中島みゆきの声と歌い方が、あの曲の旋律と歌詞に実によく合っている気がしますし。
実は吉田拓郎がこの曲を歌ったスタジオ録音の演奏を最初に聴いた時、私は正直に言ってあまりぴんと来なかったのです。
しかし中島みゆきと吉田拓郎による共演の録音をラジオで聴いて「なるほど、この曲は中島みゆきの声と歌い方なら映えるな」と認識を改めました。
でもよくよく考えてみると、これは少し問題なのではないでしょうか。
シンガー・ソングライターは曲を作る時、ついつい自分が歌うと魅力的に聞こえる節まわしなどを多用しがちです。
しかし他の歌い手のための曲を作る際には、その歌い手が歌うと映える作品にするべきでしょう。
その意味では「永遠の嘘をついてくれ」は、失敗作だったと私には思えるのです。
しかし、そのことを特に言いたてる必要はないと私は考えました。
何らかの事実によって第三者に迷惑が及ぶなど、社会的に見て問題があると思われる場合、言論人はそのことを指摘するべきだと考えられています。
しかしもしも本当に私が感じたとおり「永遠の嘘をついてくれ」は吉田拓郎よりも中島みゆきが歌うのに適した曲になってしまっているのだとしても、それは彼ら二人の間の問題であって、第三者に対して責任はないと言えるでしょう。
その点「25歳からガリ勉がモテる?」の頁では、ただ単に「中島みゆきの声と歌い方が、あの曲の旋律と歌詞に実によく合っている気がします」という書き方をするに留めてあります。
この表現であれば少しも非難ではなく、むしろ中島みゆきの歌唱力に対する誉め言葉になっていますよね。
このやり方は、私たちが恋人や家族や友人や知人など身近な相手と話をする際にも使えるのではないでしょうか。
私たちは時おり身近な相手の態度やふるまいなどに対して、非難や批判を言わずにはいられない気持ちになってしまうことがあります。
相手に態度やふるまいなどを改めてもらわなければ困る時には、はっきりと指摘をしなければなりません。しかし「相手には特に変わってもらう必要がないけれど、ひとこと言わせてもらわなければ自分の側の気がすまない」という場合もありますよね。
そういう場合にも人は、ついつい皮肉や嫌味や悪口めいた科白を言ってしまいがちです。しかし皮肉や嫌味や悪口を言ってしまうと相手が気分を損ね、お互いの間の関係が悪くなってしまいかねません。
そこで、そういう場合には「実は非難や批判の気持ちも込められているけれど、相手には誉め言葉に聞こえる科白を言う」という手があるわけです。
その科白の選び方が上手ければ、言われた相手の側は誉め言葉だと受け止めて気分がよくなります。
そして「実は非難や批判の気持ちも込められているけれど、相手には誉め言葉に聞こえる科白」を思いつくのは、わりと高度な技です。したがって、これが実際に上手くいったら、言った人の側もかなりの自己満足に浸ることができます。ただ単に「高度な技を実行できた」という満足感だけでなく「怒りにとらわれてしまわず、相手の長所は長所として正当に評価できた」ということに対する満足感もです。
とても効果的な皮肉や嫌味を言うことができた時にも、言った人の側がその場では「してやったり」と自己満足に浸れる場合があります。しかしこちらは、しばらく時間が経ってから、むしろ自己嫌悪に落ちこんでしまうことが少なくありません。
それに対して「実は非難や批判の気持ちも込められているけれど、相手には誉め言葉に聞こえる科白を言う」方は、後々まで長く満足感が続きます。言われた側も誉め言葉だと受け止めて気分がよくなる上、言った側も大きな満足感を味わえるのです。したがって両方がいい気分になれる、実にいい手だと言うことができるでしょう。
このやり方は「相手の欠点だけに気をとられるのではなく、長所をきちんと評価する」ことにもつながるわけですし。
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中島みゆきが作詞と作曲をして吉田拓郎が歌った「永遠の嘘をついてくれ」という曲について先日、当塾の「25歳からガリ勉がモテる?」の頁で次のように書かせていただきました。
どうやらyamakawaさんは吉田拓郎の「嬬恋コンサート」で中島みゆきが「永遠の嘘をついてくれ」を歌った時の映像を、ご覧になったようです。
あの曲の人気が吉田拓郎ファンの間で高いのは、あの時の共演も一因となっているのではないでしょうか。
中島みゆきの声と歌い方が、あの曲の旋律と歌詞に実によく合っている気がしますし。
実は吉田拓郎がこの曲を歌ったスタジオ録音の演奏を最初に聴いた時、私は正直に言ってあまりぴんと来なかったのです。
しかし中島みゆきと吉田拓郎による共演の録音をラジオで聴いて「なるほど、この曲は中島みゆきの声と歌い方なら映えるな」と認識を改めました。
でもよくよく考えてみると、これは少し問題なのではないでしょうか。
シンガー・ソングライターは曲を作る時、ついつい自分が歌うと魅力的に聞こえる節まわしなどを多用しがちです。
しかし他の歌い手のための曲を作る際には、その歌い手が歌うと映える作品にするべきでしょう。
その意味では「永遠の嘘をついてくれ」は、失敗作だったと私には思えるのです。
しかし、そのことを特に言いたてる必要はないと私は考えました。
何らかの事実によって第三者に迷惑が及ぶなど、社会的に見て問題があると思われる場合、言論人はそのことを指摘するべきだと考えられています。
しかしもしも本当に私が感じたとおり「永遠の嘘をついてくれ」は吉田拓郎よりも中島みゆきが歌うのに適した曲になってしまっているのだとしても、それは彼ら二人の間の問題であって、第三者に対して責任はないと言えるでしょう。
その点「25歳からガリ勉がモテる?」の頁では、ただ単に「中島みゆきの声と歌い方が、あの曲の旋律と歌詞に実によく合っている気がします」という書き方をするに留めてあります。
この表現であれば少しも非難ではなく、むしろ中島みゆきの歌唱力に対する誉め言葉になっていますよね。
このやり方は、私たちが恋人や家族や友人や知人など身近な相手と話をする際にも使えるのではないでしょうか。
私たちは時おり身近な相手の態度やふるまいなどに対して、非難や批判を言わずにはいられない気持ちになってしまうことがあります。
相手に態度やふるまいなどを改めてもらわなければ困る時には、はっきりと指摘をしなければなりません。しかし「相手には特に変わってもらう必要がないけれど、ひとこと言わせてもらわなければ自分の側の気がすまない」という場合もありますよね。
そういう場合にも人は、ついつい皮肉や嫌味や悪口めいた科白を言ってしまいがちです。しかし皮肉や嫌味や悪口を言ってしまうと相手が気分を損ね、お互いの間の関係が悪くなってしまいかねません。
そこで、そういう場合には「実は非難や批判の気持ちも込められているけれど、相手には誉め言葉に聞こえる科白を言う」という手があるわけです。
その科白の選び方が上手ければ、言われた相手の側は誉め言葉だと受け止めて気分がよくなります。
そして「実は非難や批判の気持ちも込められているけれど、相手には誉め言葉に聞こえる科白」を思いつくのは、わりと高度な技です。したがって、これが実際に上手くいったら、言った人の側もかなりの自己満足に浸ることができます。ただ単に「高度な技を実行できた」という満足感だけでなく「怒りにとらわれてしまわず、相手の長所は長所として正当に評価できた」ということに対する満足感もです。
とても効果的な皮肉や嫌味を言うことができた時にも、言った人の側がその場では「してやったり」と自己満足に浸れる場合があります。しかしこちらは、しばらく時間が経ってから、むしろ自己嫌悪に落ちこんでしまうことが少なくありません。
それに対して「実は非難や批判の気持ちも込められているけれど、相手には誉め言葉に聞こえる科白を言う」方は、後々まで長く満足感が続きます。言われた側も誉め言葉だと受け止めて気分がよくなる上、言った側も大きな満足感を味わえるのです。したがって両方がいい気分になれる、実にいい手だと言うことができるでしょう。
このやり方は「相手の欠点だけに気をとられるのではなく、長所をきちんと評価する」ことにもつながるわけですし。
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