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9番目の夢.8 [20才と31才の恋話]

 会社における昇の朝は、その日一日の仕事について夏代と打ち合わせを行うことから始まる。
「夏代。新しい部屋には、もう慣れたかい。引っ越しの後かたづけやなんかは、もう終わったのかな」
「ええ。おかげさまで」

「すまなかったね。何もお手伝いに行けなくて」
「しょうがないわよ。男子は絶対禁制のアパートなんだもの。来てもらったって申し訳がないだけだわ」
「それにしてもさ。今どき男子禁制のアパートってのも珍しいよな。寮とかならともかく」
「もう異常よね。引っ越しの時でさえ、男の人に荷物の運びこみを手伝ってもらっちゃいけないっていうんだから」

「まあ、男子禁制の方が俺は安心していられるけどな。夏代に悪い虫がつかなくて」
「センパイ、やめてくださいよ。そんな、口うるさい親みたいなことを言うのは」
「へん。どうせ俺は夏代の親みたいな齢ですよ。あまり年寄りをいじめるもんじゃないぜ」

「そういじけないで。ところでセンパイ、今日のお仕事は何をやればいいの」
「おう。じゃあすまないが、さっそくとりかかってもらおうか。今日はまず計画書の文章を打ち込んでもらわなくっちゃならないんだ。夏代はさあ、キーボードからの打ち込みなら、これはもうお手のものだよな」
「まかせてくださいよ。最近ついに、キーボード見なくても打てるようになったんですから」
「ほお、そいつはすごい。俺ですら完全に見ないでは打てないというのに」
「それで、この原稿を打ち込めばいいんですか」

「ああ、そうだ。そうだけど夏代、ちょっと待った。今ふと思ったんだけど、今のうちにひとつちゃんと訊いておくことにしよう」
「えっ、何ですか。また改まっちゃって」
「夏代さあ。夏代はこの会社で、いったいどんな仕事をしたいと思っているんだい」
「はあ。センパイの言っている意味が、ちょっとよくわからないんですけど」

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9番目の夢.7 [20才と31才の恋話]

 それからというもの。毎日はたらきながら、たまに休みの土曜日や日曜日など、夏代が通っている高校へ顔を出したり、あるいは野や山で、夏代と顔をあわせる日々が続いた。働いて金を稼ぐということは、何であれ決して楽なことではない。時にはいやな思いを強いられることもあるし、すべてを投げ出してしまいたくなることさえある。そんな時。夏代に会って話をするのが昇にとっては数すくない愉しみであり、気晴らしでもあった。夏代と顔をあわせていると、何だかとても心が休まるような気がする。嫌なことや世のなかのしがらみを、たとえひとときでも忘れることができる。今はただ何も考えず、この夏代との語らいを愉しんでいていいのだという気にさせてくれる。自らがこれまで生きてきた道のりはすべて正しかったのだと思わせてくれる。実際には寄り道と間違いだらけだったはずの道のりを。

 そのうちに昇と夏代とは、お互いに気づくこととなった。齢の違いにもかかわらず、ふたりはお互いものの考え方が、わりに似通っているということを。同じ好みや同じこだわりを抱えこんで生きているということを。見た目にはかなり遠く隔たっているように思われるお互いの生き方に、実はけっこう相通じるところがあるということを。そして何よりも、ふたりが同じ夢を持っているということを。
 昇と夏代のふたりはいづれも、いつかは文章を書くことで身を立てたいと考えていたのだ。

「えっ。センパイって、小説も書いていたんですか」
「小説ったって、ただの習作だよ。別に活字になったとかいうわけじゃないし、それどころか誰かに読んでもらったことさえ、まだ一度もないんだ。それより夏代。小説も、っていうのは一体どういう意味だい」

「だってセンパイは手紙も書くじゃあないですか」
「手紙ねえ。でも夏代。手紙なんてのは、誰でも書くものなんじゃないのかい」
「センパイの書かれる手紙を、そこらにある普通の手紙と一緒にしてほしくはないですね。センパイの書く手紙は、とってもとっても特別なんです。こないだ私がもらったお手紙だって、そうですよ。読ませていただいて思わず感動しちゃいました。あんな美しい文章の手紙を誰かからもらったのなんて、少なくとも私にとっては生まれてはじめてのことでしたから」
「まあ、そこまで言ってもらえれば書いた方としても嬉しいけどね」

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9番目の夢.6 [20才と31才の恋話]

 昇と夏代とのそもそもの出会いについて、ここで語っておくことにしよう。

 昇にとって夏代は、高校での後輩にあたる。だがもちろん、昇と夏代とが同じ時期に同じ高校へ通っていたというわけではない。そんなことは、とうていあり得ない話だ。彼らふたりは十ほども齢がはなれているのだから。
 ならばなぜ、それほどまでに齢のはなれた彼らふたりが知り合い同士だったのか。

 高校にいたころ昇は生物部に籍をおいていた。暗い研究室の片隅でカエルやヘビの解剖を行うようなクラブではない。明るい野や山へ出て、自然のままの植物や鳥やけものの姿を眺める、そんなクラブだ。昇は山が好きで、今でも暇があるとひとりであちこちの山へと登っている。そのため野山の生き物とも、いまだに関りが深い。

 昇が通っていた高校の生物部は、年に一回のわりあいで合宿をおこなっている。あるいはその他にも部員が集まって、近くの野や山へと出かけることがある。そしてそんな時。部員たちはかって生物部に籍をおいていた卒業生たちにも誘いの声をかけるのがならわしだった。

 昇はたびたび、そんな高校生たちと一緒になって野や山へ出かけたことがある。野や山の生き物に詳しく色々なことを教えてくれる昇は、高校生たちにとっても重宝な先輩だったのだろう。昇が高校を卒業してからもう何年もたつというのに、あいかわらず昇のもとには高校生たちからの誘いの声が絶えない。

 そして夏代もまた、昇が通っていたのと同じ高校で、やはり昇が入っていたのと同じ生物部に部員のひとりとして名をつらねていた。
 夏代がまだ高校の一年生だった夏に行われた生物部の合宿。伊香保で行われたその年の合宿に、昇もまた卒業生として参加している。昇と夏代とは、そこではじめて出会ったのだ。

 はじめて夏代のことを知った時、昇にはすでに何か心にそれと感じるものがあった。この年頃の元気な女の子にはよくありがちなことだが、いかにも男まさりで少しも女らしくしていない。同い年の男を相手にまわしては喧嘩をふっかけてばかりいる。それにだいたいが、まだ年端もいかない十五歳の少女ではないか。それにもかかわらず、なぜか昇にはそんな夏代のことが気にかかってならなかったのだ。どこか不思議と女っぽい色気のある子だなあと思われて。その色気が、いったいどこから生まれてくるものなのか。それは昇にも、わからなかった。とりたてて男にこびているというわけではない。むしろ男のことなど全く気にもとめてすらいないようだ。だが彼女の口ぶりやしぐさには、どこか男の気をひいてやまない何かがある。

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9番目の夢.5 [20才と31才の恋話]

 夏代と一緒に働くことを考えたのは、昇にとって何もこの時がはじめてというわけではない。彼らふたりには夢がある。いつの日にか小さな出版社をつくり、そこで彼らふたりが編集した雑誌を出すという夢が。だがそのためには、それなりの資金を貯めなくてはならないだろう。この夢が本当にかなうまでには、まだかなりの月日がかかるに違いない。

 そんな遠い先の話を持ち出すまでもなく。夏代が高校を卒業した時にも、昇は夏代と一緒に働くことが出来るものと考えていた。夏代が大学に合格できなかった場合には、いま昇が勤めている職場で夏代をしばらくの間でも雇ってもらおうと目論んでいたのだ。夏代が大学に受かったため、これは実現しなかったわけだが。その時の夢がこのたび、二年遅れではあるものの、ようやくかなったことになる。

 あくる朝。夏代は道に迷うこともなく無事、八時半に会社へやってきた。部屋の掃除をすませ、朝のお茶をいれてから、昇はさっそく夏代に仕事を覚えてもらうための研修をおこなうことにする。

「じゃあまずはこの会社がどんな仕事をしているのか、ということから説明をはじめようか。この会社は、ひとことで言うと建設コンサルタントの会社なんだ」
「何それ。いきなり建設コンサルタントだなんて言われても、どういうことだかちっともわからないわよ」

「まあ、ぴんとこないのも無理はないだろうな。普通の生活をしている普通の人にとっては、一生かかわる機会がないかもしれないような仕事だからさ。でもね夏代。ビルを建てたり道を作ったり、どんな建設工事であれ、それを行う前には必ず設計という作業が必要とされているんだよ」
「設計って、すなわちデザインのことね」

「そうそう。でも、外見の見てくれを決めるばかりが何もデザインじゃない。その外見にするための材質や、その強さなんかを考えることも大切になってくる」
「なるほどね」

「そこでだな。工事の時どこにどのような力がかかるか、あるいはどこにどのような力がかかってどれくらい形が変わってしまうのか、そんなことを全てあらかじめ計算して予想を立てるんだ。その上でどこをどれくらいの強さにするか決めるってわけだな。どこにどういう材料を使えば、どれくらいの強さになるはずだ、っていうふうにね。そして工事を行う時には建設現場に計測用の計器をとりつけて、実際にどれだけの力がかかっているのかを計ったりもするんだぜ」
「へえ、そんなことまでしてるんだ」

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